「KENZO」(ケンゾー)の創業者であり、ファッションデザイナーの高田賢三(たかだけんぞう)氏。
一大ブランドを築き上げた高田賢三氏ですが、2020年10月4日に急逝されました・・・。
KENZO高田賢三(たかだけんぞう)氏の自宅はパリの大豪邸?!パートナーは伯爵男性だった?
KENZOのブランドは知っていても、高田賢三さんとはどのような人物だったのでしょうか?
高田賢三氏のプロフィール
2020年10月時点で81歳でした。
文化服装学院デザイン科のデザイン科9期生には、あのコシノジュンコさんや松田光弘、金子功さん、北原明子さんなど、後のファッション界をリードする人材が揃っていて「花の9期生」と呼ばれたそうです。
高田賢三氏は、文化服装学院を卒業後、銀座の「三愛」などに勤務し、1960年に新人デザイナーの登竜門である、第8回装苑賞を受賞しています。
それから、1965年にファッションの最先端とされるフランスへ。
1970年に独立し、プレタポルテのブティック「ジャングル・ジャップ」(現ケンゾー)をオープンします。
「KENZO」は有名ファッション雑誌『ELLE』の表紙を飾り、その後はパリコレで注目のブランドになるまでに成長を遂げました。
しかし、経営難のために1993年に「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」(LVMH)にブランドを売却・・・。
高田賢三氏は1999年にはデザイナーから退きますが、2003年頃に再復帰。
2004年にはアテネオリンピックの式典・移動用ユニフォームのデザインを担当し、話題になりました。
高田賢三氏の自宅はパリの豪邸?
高田賢三氏は、1989年パリのバスティーユに、日本建築を模した豪邸を建てて、そちらに20年ほど住んでいたようです。
こちらのお家は1207平米(365坪)もの広さで、お値段は約25億円と言いますから、「KENZO」はよっぽど稼いだんだろうなぁ~と思います(笑)
「KENZO HOUSE」と呼ばれていたようですが、その後はリノベーションされています。
KENZO HOUSE : ファッションデザイナー高田賢三のパリの自邸を、フランス人の企業家のための住宅+レストランへと改造した – 隈研吾建築都市設計事務所 https://t.co/IMPg5WI1fx pic.twitter.com/6BPJzVcrxY
— beep_R_A.K. (@beep_roadrunner) June 14, 2019
そして、その後はパリのサンジェルマンにあるアパートを自宅として過ごしていました。
アパートと言えども、とってもオシャレです!!
ぴったんこカンカンで観た高田賢三さんの家 あつまれどうぶつの森めちゃくちゃ極めた人みたいな素晴らしさとセンス😧 pic.twitter.com/eM4RzwNfwC
— ✨ニルヲ✨ (@niruwo) March 6, 2020
アパートと言えども250平米(75坪)もあるということで、広々とした豪邸で過ごしていたようです。
雑誌に載るぐらいキレイでオシャレですね!
さすが、ケンゾー!!
高田賢三さんってぴったんこカンカンに香川照之さんと出てた方か…ご冥福をお祈りします pic.twitter.com/bDnuXhLe09
— rocka (@atomfutureno9) October 4, 2020
「ぴったんこカンカン」では、高田賢三氏のご自宅に安住アナと、香川照之さんがお邪魔していました。
貴重な機会でしたね。
なんだか、この色合い具合が「KENZO」っぽいような?
高田賢三氏のパートナーは貴族な男性だった?
ちょっと衝撃的な感じですが・・・。
高田賢三さんのパートナーは「男性」だったのです。
彼の名前は「グザビエ・ドゥ・カステラ」さん。
世界史に出てくる、あのルイ14世から「伯爵」の称号を受けたという貴族なのです!!
貴族であるグザビエ・ドゥ・カステラさんですが、建築学を学んでおり、日本の建築や思想、文化などにも深く理解をしていたのだとか。
日本についての理解もあったため、高田賢三氏とも意気投合したようです。
そして、こちらのグザビエ・ドゥ・カステラさんと高田賢三氏は公私共に良きパートナーとして、バスティーユのあの大豪邸で暮らしていました。
あの大豪邸は、「フランス・パリにいても、日本の心を忘れないように」と、二人で共同設計した思い出の建物だったのだそうです。
なんか、ロマンチックですね♪
しかし、グザビエ・ドゥ・カステラさんは1990年に病気のために他界されてしまいました・・・。
高田賢三氏にとって、グザビエ・ドゥ・カステラさんの存在はとてつもなく大きかったようです・・・。
今頃二人は、天国で再会しているのかもしれませんね。
心よりご冥福をお祈りいたします。