冨永愛の本名は?パリコレモデルの出身地、経歴やプロフィールは?
ジャパニーズクールビューティーの先駆けともいえる冨永愛さん。
世界的にも有名なパリコレや女性ファッション誌の表紙を飾るなど、モデルとして輝かしい実績を積まれています。
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現在はモデルの他に女優やテレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティーなどもされています。
ビューティブック「冨永愛 美の法則」(ダイヤモンド社)が出版され、ますます活動の幅を広げられています!
日本人離れしたスタイルのミステリアスな印象の冨永愛さん。
あまりにも日本人離れしたスタイルにクールなお顔立ち。
ハーフなのかな?という噂もありますが、本名や経歴を含めて、プロフィールを調べてみました。
冨永愛プロフィール
名前 | 冨永 愛(とみなが あい) |
生年月日 | 1982年8月1日 |
出身地 | 神奈川県相模原市 |
血液型 | B型 |
身長 | 179cm |
股下 | 92cm |
靴のサイズ | 25.5cm |
所属 | 【日本】ボン・イマージュ【NY・PARIS】Marilyn【ミラノ】Why 【ロンドン】Not、Storm |
2020年3月時点で37歳です。
年齢相応に見えないぐらいお若い!!
身長は179cm。
パリコレに出るぐらいのモデルさんなので、世界的に見たらそのぐらいは当たり前なのでしょうか?
そして、股下92cm!!!!!
9頭身だそうです!!
想像がつきません(笑)
現在は日本とパリに拠点を置いて活動されています。
富永愛の経歴
神奈川県の相模原市で生まれ、神奈川県育ちの富永さん。
出身地は神奈川県相模原市です。
高校は神奈川県立橋本高校を卒業されています。
日本人離れしたスタイルなので、ハーフなのかな?とも思いましたが、生粋の日本人のようです。
そして、お名前の「冨永愛」は本名のようです。
ただ、生い立ちはとても複雑な家庭環境で育っています。
複雑な幼少期
富永さんは3人姉妹の真ん中ですが、全員お父さんが違います。
異父姉妹という事ですね。
幼少期にご両親が離婚。
その後は母子家庭ではありましたが、小さい頃から家には知らない男の人が入れ代わり立ち代わり来ていたのだそう。
母親はネグレスト(育児放棄)気味で、とても貧しく辛い時期を過ごされたようです。
富永さんもですが、お姉さんや妹さんも複雑な思いで過ごしてきたのではないかと察します。
小学校時代に転校を繰り返したことから、なかなか友達もできず、身長が高い事からイジメにもあいました。
身長が高いからイジメられると思い、14歳の時にはこれ以上身長が伸びないようにとタバコを吸い始めてしまいます。
外でイジメられても母親は興味を示さない…。
ますます孤独感に襲われていったそうです。
一番頼りたい親に冷たくあしらわれる…。誰も分かってくれないし助けてくれないって孤独になる…。
とても辛いですよね…。
お姉さんが応募してモデルの道へ
そんな時にお姉さんが雑誌の『プチセブン』に、富永さんを読者モデルに応募。
お姉さんは「この子ならいける」って思ったのかもしれませんし、
姉妹の絆の強さもあったのでしょう。
富永さんは見事合格し、『プチセブン』の専属モデルとなります。
17歳で高校の制服を着た写真が雑誌に掲載されると、関係者の目に止まり、
その写真が、なんとあの『VOGUE』に掲載されます。
この時代に流行った『ガングロ』や『ルーズソックス』世代ですね(笑)
しかし、やっぱり足の長さは飛び抜けています!!
すると海外のファッション関係者からオファーが来るようになり、
単身でニューヨークにオーディションを受けに行きます。
『プチセブン』で既にモデル活動をしていたので、少しは慣れた世界に感じたのかもしれませんね。
世界のトップモデル入り!
そして、2001年のニューヨークコレクションで、見事ランウェイデビューを果たし、
世界のトップモデル入りをしたのです!
『Ralph Lauren』のモデルとして起用されました!!
2002年からはパリコレを始めとする世界のコレクションのランウェイに登場します。
結婚、そして母になる
2004年にパリでパティシエとして働いていた男性と知り合い結婚。
しかし、結婚した男性の詳細については公表されていません。
2005年に男児を出産します。
出産のために一時はモデルをお休みしていましたが、出産後半年あたりにはランウェイに復帰します。
赤ちゃんだった息子さんを抱っこしてランウェイを歩いたことも!
出産後の体系を出産前に戻すのも簡単ではないでしょうが、半年で復帰できるとは、さすがのモデル魂を感じます!
しかし、2009年に離婚を発表され、シングルマザーとなります。
高い評価を受けながらも2010年にコレクションモデルを引退。
シングルマザーとして一人息子を育てるために、テレビやラジオ、イベントに出演するなど一生懸命働きました。
息子さんのためを思ってせっせと仕事をしていた彼女。
しかし、とあるときに息子さんが「生まれてこなければ良かった」と言って泣いたのを見て、「息子に必要なのはお金ではない」っと思ったのだそう。
そして、活動を休止して、母親業に専念。
息子さんとの時間を増やしました。
自分が小さい頃経験した「親と一緒にいられなかった」さみしい思いを息子さんにさせたくなかったのでしょう。
とても素晴らしいお母さんだと思います。
そして、中学生になった息子さんから「そろそろ仕事したら?」との言葉を受けて、仕事に復帰しました。
まとめ
ジャパニーズクールビューティーの先駆けともいえる富永愛さん。
確かに若い頃の印象は、笑顔というワードからは程遠かった気がします。
モデルはモデルでも、コレクションモデルとなれば、ハイブランドのイメージキャラクターなので、そんなにヘラヘラ笑ってはいけなかったのかもしれませんね。
しかし、最近は「こんなに笑う人なんだ?」っと笑顔を見る機会も増えて、ステキさがどんどん溢れているようです。
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モデルだと、食べ物にもかなり気をつけなければいけないでしょうが、ぁれ?カロリー高めっぽいピザもとても美味しそう(笑)
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幸せそうな笑顔で召し上がってます(笑)
最近では、女優活動や執筆活動もされています。
芸能活動ばかりではなく、社会貢献活動も積極的にされているんです!
小さい頃から一般的には複雑な環境とされる家庭環境で育ってきた富永さん。
お姉さんの応募でモデルの道に進み、紆余曲折ありながら現在に至ります。
私が海外に出て、挑戦して勝負して、ここまでやってこられたのも、ものすごい弱かった自分がいるから。子供の頃は、常に人と比べて、背が小さくて可愛い子になりたいなと思っていたし、みんなと一緒になりたかった。やっぱり弱い部分があるから強くなれるんですよ。
悩むってとても良いこと。悩まなければ向上しないし、挫折がなければ成功もありません。悔しいとか、辛いとか、悲しいとか、とても大切だと思います。陰と陽は、表裏一体であることを、この歳になって感じますね。だから、いま悩んでいる人も大丈夫ですよ。(Forbs Japanより)
辛かったからこそ勝負してきた。いろんなものと戦ってきた。
そんな富永さんだからこそ、響く言葉だと思います。
辛かった過去があるからこそ、どんどん輝きを増し続けている富永愛さん。
愛を末永く富み与え続けていかれますように。
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最後までお読みいただきありがとうございました!!