大接戦の末、ようやく結果が見えてきた2020年アメリカ大統領選挙。
大統領に選ばれる事が確実になってきたジョニー・バイデン氏が、上院議員のカマラ・ハリス氏を副代表候補に指名しました。
カマラ・ハリスは日本嫌い?アジアにもルーツを持つ黒人女性副大統領!バイデン氏共にスピーチに大注目!
このカマラ・ハリス氏とは、いったいどのような人物なのでしょうか?
アジアにもルーツを持つと言われていますが、日本についてはどのように思っている方なのでしょう?
アメリカ副大統領に指名されたカマラ・ハリス氏!
ハフポスト日本版によりますと、
2020年アメリカ大統領選で民主党大統領候補に選ばれることが確実視されているジョー・バイデン氏が、上院議員のカマラ・ハリス氏を副大統領候補に指名した。
アメリカで初となる女性副大統領の座につく見通しとなったカマラ・ハリス氏が、現地時間11月7日夜に勝利演説をした。
その中でハリス氏は
「私は最初の女性副大統領となりますが、最後ではありません」と断言した上で、
その理由を「今夜、この瞬間を見ているすべての小さな女の子たちは、ここが可能性に満ちた国であることを知ったからです」と力強いメッセージを送った。
カマラ・ハリス氏の演説は、多方面から賞賛を浴びています。
「参政権のために女性たちは戦いつづけ、100年前に合衆国憲法修正第19条が成立、55年前には投票権法が成立しました。そして2020年、新たな世代の女性たちは、投票して自分たちの意志を表明するという基本的な権利のために戦い続け、一票を投じました。今夜、私は彼女たちの闘いを振り返ります」
「私は最初の女性副大統領かもしれませんが、最後ではありません。今夜、この瞬間を見ているすべての小さな女の子たちは、ここが可能性に満ちた国であることを知ったからです。そしてこの国は、ジェンダーに関係なく、すべての子どもたちに明確なメッセージを送りました。野心をもって(大志を抱いて)夢をみる。信念をもって前に進む。例え社会がまだ見ぬ姿であっても、他の人がどう思うかということに関係なく、自分自身を見つめつづけてください。私たちはそのステップを踏むあなたを応援します」
「そして、私はあなたが誰に投票したかに関係なく、すべてのアメリカ国民のための副大統領になるよう努めます」
ネットの反応は?
バイデンさんは78歳。最長の8年は務めるのは難しいと思う。
途中でハリスさんが大統領になっても不思議じゃない。
素晴らしい演説だと思う。国民の不満や怒りを、判り易い「敵」を作ってすくい取り熱狂的に支持させるポピュリスト政治家はけっこう居るが、すべての人に一緒に目指すべき社会像を示し、弱い立場の人々に希望を与えられる、そんな演説ができる政治家は本当に少ない。
女性で,有色人種で,移民の家系。
4年後にバイデンが再選を目指せるかは分からない。
そのときに民主党の大統領候補に名が挙がることになるだろう。
ガラスの天井をぶち破れるか,
この4年間のバイデン-ハリスの手腕にかかっている。
どっかの白人至上主義の金持ちが大統領になって娘を補佐官にしたり。ファミリービジネスを政治に持ち込まれるよりは、政治経験や知識ある人が大統領になって欲しいし、指名する副大統領もそれなりに優れた人なのは大事な事だと思う。
2000年も20が経っていまだに白人至上主義とか、ダサいし遅れてる。
白人が他人種より優れているなんてでっちあげはもう通用しない時代なの。
個人的にはバイデンは任期途中でこの人に代わるまでを想定しているんだと思いますけど。
実質的には副大統領が大統領の仕事をしそう。
ハリス氏のコメント格好いいね。本当に力強いメッセージ。政治家だね。国をけん引しようとする者の自覚を感じる。未来があるね。
それに対して,どこかの国の首相は最初に自助,共助,公助。まずは自分でやりましょう。なんだかなぁこれが政治家の言葉かね?この言葉に未来を感じるか?
カマラ・ハリス氏ってどんな人?ざっくりプロフィール!
カマラ・ハリス氏は「黒人でもあり、アジアにもルーツを持つ女性副大統領」と、アジア人にとっても親近感が湧きますね!
2020年11月時点で56歳です。
56歳には見えない若さですね!
カマラ・ハリス氏の生い立ち
1964年10月20日にカリフォルニア州オークランドに誕生。
母親の名前は「シャーマラ・ゴーパーラン・ハリス」。
1960年にアメリカに移民したインド人で、著名な乳がん研究者でした。
父親の名前は「ドナルド・J・ハリス」。
ジャマイカ人移民で、カリフォルニア大学バークレー校で経済学を学ぶため1961年に渡米。
その後スタンフォード大学の経済学教授になりました。
しかし、ハリス氏が7歳の時に両親が離婚。
その後、母親のシャーマラさんがハリス氏とハリス氏の妹のマヤさんを育てました。
Thinking of my mother today. She was smart, fierce, and my first campaign staffer — and I dearly wish she was here with us for this moment. Her spirit still drives me to fight for our values. pic.twitter.com/pf0lFrvoWI
— Kamala Harris (@KamalaHarris) January 22, 2019
《頭が良くて強かった母。彼女は私の最初の選挙スタッフでもありました。彼女が今、一緒にいてくれたらどれだけいいだろうと思っています。彼女の精神は今でも、私が我々の大切な価値観を守るために闘うための原動力です》
ハリス氏に大きな影響を与えた母親のシャーマラさんは、2009年に亡くなってしまいました・・・。
ハリス氏は、ワシントンポストに
自分は「誇り高いアメリカ人」であり、黒人とインド系の両親を持っていることが、自分のアイデンティティの中で「同じだけの重みを持つ」
と述べています。
そして、ハリス氏はモントリオールのウェストマウント高校を卒業した後、ワシントンD.C.のハワード大学で政治学と経済学を専攻しました。
ハリス氏は大学を卒業後、カリフォルニアに戻り、カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロー・スクールで法律を学びました。
1989年に法務博士号 (J.D.) を取得。
翌1990年にカリフォルニア州の法曹資格を取得しています。
カマラ・ハリス氏の経歴
ハリス氏は、卒業後、検察官としてのキャリアを積んでいきます。
1990年から1998年まで、カリフォルニア州アラメダ郡にて地方検事補として活躍。
2004〜2011年までサンフランシスコ地方検事を務め、黒人としても女性としても初めてカリフォルニア州の司法長官に就任。
2期にわたって全米人口最多の州の司法長官を歴任しました。
ハフポスト日本版によりますと、
ハリス氏はカリフォルニア州全土で不登校を減らすキャンペーンを展開し、レイプ事件の解決に尽力。
また、サブプライム住宅ローン危機をめぐっては、当時デラウェア州の司法長官を務めていたバイデン氏の息子ボー・バイデン氏と協力し、金融機関を厳しく追及。住宅所有者の救済に尽力した。
同性婚合法化の闘いには大きな役割を果たした
BBCによると、ハリス氏は自身を「進歩的な検察官」としており、出所者の社会復帰事業の導入や犯罪統計データベースの公開、カリフォルニア州の警察官にボディカメラの着用を義務付けるなどの警察改革を行ってきたと主張している。
そして、2016年に、上院議員に当選。
黒人のアメリカ人女性として連邦上院議員に選出されたのは史上2人目の快挙だった。
また、上院議員に当選した初のインド系アメリカ人でもある。当時、ヒラリー・クリントン氏が大統領選に敗北したことで、女性大統領を熱望していた多くのアメリカ国民は大きなショックを受けていたが、ハリス氏の当選は、「ガラスの天井を打ち破る」次なる希望として期待を残した。
まさに、アジア系アメリカ人で、歴史に残る人物といっても過言ではありません。
コンバース好きな政治家!
そして、ハリス氏が副大統領候補になってから初めてウィスコンシン州ミルウォーキーを訪問した際には、コンバースを履いていたことにも注目が集まりました。
一般的に女性政治家はハイヒールやパンプスを履いていますが、ハリス氏は長年のコンバースファンでもあり、動きやすいということから、過去の政治活動でもコンバースのスニーカーを履いていました。
この点からも親近感を感じますね。
カマラ・ハリス氏は日本嫌い?
現在のところ、カマラ・ハリス氏が日本に対して、どのように思っているのかが分かる記事は見当たりません・・・。
しかし、ハリス氏に偉大な影響を与えた母親はアジア系のインド人であることから、アジアの一部である日本に対しての「反日感情」はないのではと思われます。
というか、ないと信じたいです。
アメリカの歴史上に残る女性。
アジア人としても積極的に応援していきたいです!!